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東京地方裁判所 昭和35年(行)89号 判決 1963年5月23日

判   決

東京都北多摩郡田無町五八一番地

原告

本橋泰蔵

右訴訟代理人弁護士

中村弥三郎

磯村義利

山田直大

大島重夫

東京都北多摩郡保谷町大字下保谷八六一番地

被告

加藤正

右訴訟代理人弁護士

松本嘉市

右当事者間の昭和三五年(行)第八九号農地買収処分無効確認等請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

一  原告は「一、別紙物件目録記載の土地が原告の所有であることを確認する。二被告は原告に対し前項の土地について所有権移転登記手続をし、かつ、これを明け渡せ。三、訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに右第二項後段(明渡しを命ずる部分)について仮執行の宣言を求めた。

二  被告は主文同旨の判決を求めた。

第二  原告の主張

一  別紙物件目録記載の土地(以下単に本件土地という)は、もと訴外本橋半七の所有であつたが、同訴外人が昭和五年二月一日死亡したので、家督相続により訴外本橋ミキの所有となり、さらに同女が昭和一〇年二月二〇日原告と入夫婚姻し、原告が戸主となつたので、家督相続により原告の所有となつたものである。

二  訴外東京都知事は昭和二三年二月二日本件土地を自作農創設特別措置法(以下単に自創法という)第三条により前記本橋半七より買収し(以下単に本件買収処分という)、次いで同月三日同法第一六条によりこれを訴外加藤喜八に売り渡し、東京法務局田無出張所昭和二五年二月三日日受付第一一一号をもつて本件土地について右売渡しを原因とする同訴外人のための所有権取得登記がなされたが、同訴外人は昭和三四年二月一一日に死亡したので被告がその遺産を相続し、本件土地については同出張所昭和三五年三月一四日受付第五九四五号をもつて、右相続を原因とする被告のための所有権取得登記がされ、現に被告がこれを占有している。

三  しかしながら以下に述べる理由により本件土地の所有者は原告である。

(1)  本件買収処分は前記のように訴外本橋半七に対してなされたものであるが、同訴外人は買収処分当時すでに死亡していたのであるから、死者に対する行政処分であり、同訴外人に対する買収令書の交付ということはありえないから無効である。したがつて本件土地の所有権は本件買収処分により、移転せず、依然として原告に存するものというべきである。

この点についての被告の主張中、昭和二四年二月ころ東京都知事発行の本橋半七あての買収令書が半七の妻であつた訴外本橋トクあてに送達交付されたこと、同女が同令書の受領関係書類に半七が生前使用していた同人の実印を押捺してこれを所轄農地委員会係員に交付したこと、さらに同女は右受領の日の翌日、右買収令書やそれが入つていた封筒等を原告やその妻ミキに示し、右の事実を話したことは認めるが、以上のような事実から直ちに原告に対し有効な買収処分があつたということはできない。

元来、死者に対する行政処分は、死者に対する判決が無効であると同じように、当然無効なものであるが、仮に死者の相続人に買収令書が交付されたときには当然無効でないとしても、本件においては買収令書は本橋半七の相続人に対し交付されたのではなく、買収令書の入つていた封筒のあて名が本橋トク殿となつていた事実が示すように、本橋トクに対し交付されたのであつて、トク以外の者には交付しない趣旨のものであることは明らかであるから、相続人に対する買収令書の交付があつたとはいえない。本件買収令書は、本橋半七が死亡している以上、その相続人に対して交付されるべきものであるが、だからといつて現実に相続人以外の者にあててなされた送達を相続人に対する交付と同視することは到底できないから、結局本件買収処分においては、適法な買収令書の交付がないことになり、同処分は無効であるというべきである。

仮にトクに対する買収令書の送達を相続人たる原告がその翌日知つたことにより原告に対する有効な買収令書の交付があつたことになるとしても、なおこの場合においても、原告において自己が相続により本件土地の所有者となつたことを知つていなければならないものと解すべきところ、原告自身は本訴提起の時まで自分が家督相続により右土地の所有者となつていることを知らなかつたのであるから、本件の買収令書が有効に原告に交付されたものとみることはできない。すなわち、前記のように、戸藉上は、本橋ミキは昭和一〇年二月二〇日原告と入夫婚姻し、原告が戸主となり家督相続をしたのであるが、原告および原告家としては、たゞ常識的に原告が本橋家に養子に来たと考えていたので、原告夫婦も前記トクも右入夫婚姻後においても前記半七の財産は、その家督相続人である原告の妻ミキの所有になつていると考え、原告の所有であるとは考えていなかつたのである。

そうだとすれば、死者に対する買収処分においてもその買収令書がその相続人に対して交付されれば、それは有効であるという理論は、本件の場合にあてはまらないものというべきである。もしそうでないとすれば、相続人に対し甚だ酷な結果を生じ、法生活の安定は期せられないことになるからである。

(2)  仮に本件買収処分が有効だとしても、次の理由により、現在においては、本件土地の所有権は原告に復帰している。

自創法は「自作農を急速且つ広汎に創設」することは目的とし、政府が一定の標準に基づいて農地を画一的に買収したうえ、これを「当該農地につき耕作の業務を営む小作農その他命令で定める者で自作農として農業に精進する見込のある者に売り渡す」べきことを定めているのであるから、同法による農地買収は、対象となる土地が農地としての性質を将来とも保有し、かつ、売渡しをうけた者が将来とも耕作意思を有することを条件とするものであつて、制度本来の趣旨からいつて、この条件を具備しなくなつたときは、その所有権は当然旧所有者に復帰するものと解さなければならない。

すなわち、自創法による農地買収における権利の移転は、被買収土地が農地としての性質を失うことを解除条件とするものである。あるいはまた、自創法による買収および売渡しにおける権利の移転は、通常の売買等による権利の移転とは異なり、信託的譲渡とみるべきものである。すなわち、自創法の前記目的のために、旧地主は買収農地を農地として使用耕作させる目的のために国に対し信託的に譲渡したものであり、国はさらにこの土地を農地として耕作使用させる目的のためにのみ、被売渡人に信託的に売り渡したものと解すべきである。この場合買収処分にあつては、被買収者が信託者、国が受託者、売渡処分にあつては国が信託者、売渡しをうけた者が受託者となるもので、契約によつて明示的に信託を設定したわけではないが、法の精神から生じる一種の法定信託関係とみるべきものになるのである。したがつて、買収農地が宅地となり農地としての性質を失なえば、信託はその目的上消滅し、原信託者である被買収者が全面的にその土地に対する所有権を回復すると考えなければならない。自創法第二八条は、買収農地の売渡しをうけた者がその農地を耕作以外の目的に供しようとするときは政府はこれを取り上げなければならない旨規定し、売渡しをうけた者が当該土地を耕作以外の目的に供しえないことを明定しているのであり、このような場合、農地法による買収処分においては、右自創法第二八条の精神を受けた農地法第一五条により当該土地を政府が買い上げ、同法第八〇条により旧地主に返還することになるのであるが、このような規定を欠く自創法においては当然に旧地主に買収土地の所有権が復帰すると解せざるをえないのである。

かりにそうでないとても、農地買収の対価として交付された金額は、農地としての収益を算定し決定されたものであつて、宅地に転用されうる潜在価値(農地としての価値よりはるかに大きい)は無視されており、この部分については対価が交付されていないから、この潜在価値は今もなお旧地主に属しているものとみなければならず、買収農地が農地としての性質を失なつたならば、この潜在価値が顕在価値となつたものというべきであるから、この時に旧地主が全面的に所有権を回復するものとみるべきである。(もつとも、この場合、旧地主がすでに交付をうけた対価は返還すべきことになろう)もしそうでなく、自創法による買収農地の売渡しをうけた者が、その土地を農地以外のものに自由に転用し転売できるものとすれば、同法の目的は根底から覆えらざるをえないことになり、他方自作農の創設という国家施策に協力して買収に甘んじた被買収者に対し甚だしく衡平を失する結果になることは明白である。原告主張の以上の法理は当然の条理であり、現在世間一般の認識によつても支持されているのである。解放農地の売渡しをうけた旧小作人がこれを宅地に転用し転売する場合においては、その全利得を私することは到底条理の許さないところであり、また、被買収者である旧地主としても、農地として使用されている間は自作農創設の国策に殉ずるためこれを忍ばねばならないとしても、転用転売を座視することは到底できないところである。そのために、解放農地の宅地への転用転売については、自然発生的に、旧地主の同意を得なければならないとの通念を生じ、ほとんどの農業委員会においては、旧地主の同意ある申請にかぎりこれを許可しているのであつて、この場合、旧地主は相当額のハンコ料(同意の対価)を得て同意しているのである。現在では旧地主の同意なき限り、転用転売が許すべからざるものであることは法的確信に達しているのであつて、このような事実からみても原告の主張が正当であることは明らかであるというべきである。

しかるに、被告及び被告先代加藤喜八は、数年前より本件土地を放棄して全く農地として利用せず、耕作意思を放棄し、これを訴外株式会社玉野地所部に対し宅地として高価に売却し、昭和三四年二月東京都知事に対し宅地転用の許可の申請をしている。(この申請は、原告の所轄農業委員会に対する異議申立により、目下処分保留中である)このように、本件土地は、現在耕作すべき被告において耕作意思を放棄しているのみならず、被告と株式会社玉野地所部の間の宅地取引における価格が一坪当り金一万円以上であることからも明らかなように、東京との地理的関係、近傍の状態よりして正に農地としての性質を失ない経済的社会的にみてすでに宅地となつているものであるから、前記解除条件の成就ないし信託目的の喪失により、あるいは宅地としての価格の顕在化により、本件土地の所有権はすでに原告に復帰したものといわざるを得ない。

四  以上の理由により、本件土地の所有権は原告に存するものであるから、原告は被告に対し、これが原告の所有であることの確認を求めるとともに本件土地所有権移転登記手続およびその明渡しを求める。

五  被告の時効取得の抗弁は争う。

原告は「被告の亡父加藤喜八は昭和二三年二月三日解除条件付で本件土地の所有権を取得した」と主張しているのであるから、昭和二三年二月五日より所有権の取得時効が進行したとする被告の主張は無意味であり、取得時効は同条件の成就によつて所有権が原告に復帰した時より進行すべきである。また、被告の占有は前記のように受託者としての占有であり、農地利用者としてのみ占有であつて、宅地化を含む全所有権能者としての占有ではないから、自主占有ではなく、この占有の性質が変更しないかぎり、全所有機能の取得時効は進行することはないものというべきである。

第三  被告の答弁と主張

一  原告主張の第二の一の事実は認める。

二  同二の事実は認める。たゞし、本件買収処分は原告に対してなされたものと解すべきである。

三  (1)同三の(1)について。本件買収処分がその形式上被買収者を訴外本橋半七としてなされたことは認めるが、それが無効であるとの主張は争う。同訴外人は本件買収処分当時すでに死亡していたが、訴外東京都知事は右死亡の事実を知らなかつたので、登記簿上の所有名義に基づいて右半七あての買収令書を発行したのであるが、同令書は本件土地の所有者である原告に交付されているので、本件買収処分が当然無効であるということはできない。すなわち右の買収令書は昭和二四年二月ころ半七の妻であつた訴外本橋トクあてに送達されたので同女がそれを受け取り、同令書と一緒に送付されて来た買収代金受領の委任状用紙に本橋半七の氏名、住所、生年月日等を記入し、収入印紙を貼付し、半七が生存中使用していた実印で同人死亡後は同女が自分の実印として使用している印を押捺して、これを所轄農地委員会の係員に提出したのであるが、同女は右送達の日の翌日、右令書を原告およびその妻ミキに示して受領の経過を説明したので、同日原告は買収令書の送達の事実を知つた。したがつて、その時に原告に対する買収令書の交付があつたものというべく、このような買収令書の交付が違法だとしても、これに対して、異議、訴願、取消訴訟の提起等の不服の手段を採らなかつた以上、もはや現在においてその違法無効を主張することはできないことは明らかである。

(2) 同三の(2)について。原告の先代亡加藤喜八が訴外株式会社玉野地所部に本件土地を売り渡さんとし、所轄農業委員会に対し転用許可の申請をした事実は認めるが、被告が相続するとともに右玉野地所部との契約も解除し、右の許可申請も取り下げている。本件土地について被告が耕作意思を放棄したこと、本件土地が社会的経済的に農地としての性質を失なつていること、知事が創設農地の転用許可申請について旧地主の同意がある場合に限り許可していること、以上の事実は否認する。また、旧地主が右の同意の対価として相当額のハンコ料を得ていることは知らない。本件土地は右喜八以来数十年にわたり引き続き農地として耕作し、現に被告は野菜を裁培しており耕作の意思を放棄したことはなく、また、本件土地の近隣に若干の新築家屋が存在することは事実であるが、近隣土地中の八〇%近くは農地として耕作されており、被告自身も本件土地を将来も引き続き農地として耕作する意思である。

その余の原告の主張はすべて争う。これらはいずれも一方的な独断であつて、到底首肯しがたいものである。

自創法第二八条によれば、農地の売渡しを受けた者が当該農地について自作をやめようとするときは、国がそれを買い取り、さらにこれを自作農として農業に精進する者に売り渡すことになつており、また農地法第五条は、創設農地についても、知事の許可を受けて転用のための所有権移転をすることを認めており、農地の売渡しを受けた者が耕作意思を放棄した場合又は創設農地が農地として使用されなくなる場合、土地の所有権が当然に旧所有者に復帰するということにはされていない。これからみると、自創法は、農地の買収によつて、国は無条件で完全にその農地の所有権を取得し、また農地の売渡しを受けた者は、無条件で完全にその農地の所有権を取得するという考え方に立つているとみなければならないのであつて、原告主張のように農地の買収が解除条件付等のものであると解する余地は全くない。したがつて又、その条件成就等ということもありえない。

四  仮に本件買収処分が無効であるとしても、被告は時効により本件土地の所有権を取得している。すなわち被告の先代喜八は昭和二三年二月六日東京都知事より本件土地の売渡通知書を受けとり、同日以降、本件土地を適法に売り渡されたものと信じ、所有の意思をもつて平穏かつ公然にその占有を継続し、本訴提起前すでに一〇年以上経過したが、その占有の始め善意、無過失であつたから、時効により、その所有権はすでに被告に帰したものである。よつて被告は本訴において右時効を援用する。

第四証拠関係≪省略≫

理由

一本件土地がかつて亡本橋半七の所有であつたこと、同人は昭和五年二月一日に死亡したので、長女の訴外本橋ミキが家督相続をして本件土地の所有権を取得したが、その後同女は昭和一〇年二月二〇日に原告と入夫婚姻し、同日原告が戸主となり家督相続をして本件土地の所有権を取得したこと、訴外東京都知事は自創法第三条により昭和二三年二月二日、右本橋半七あての買収令書を発行して本件土地を買収し、次で同月三日同法第一六条によりこれを亡加藤喜八に売り渡し、東京法務局田無出張所昭和二五年二月三日受付第一一一号をもつて右売渡しを原因とする同人のための所有権取得登記がなされたが、同人は昭和三四年二月一一日死亡したので、被告がその遺産を相続し、同出張所昭和三五年三月一四日受付第五九四五号をもつて右相続を原因とする被告のための所有権取得登記がなされ、現在被告がこれを占有していることは当事者間に争いがない。

二原告は本件買収処分は死者に対する行政処分であつて無効であると主張するのでこの点について判断する。

本件買収処分がなされた当時、すでに前記本橋半七が死亡しており、本件土地は、同人の家督相続をした前記本橋ミキを経て、同女の家督相続した原告の所有になつていたことは前記のとおりであり、前記買収令書は昭和二四年二月ころ右半七の妻であつた訴外本橋トクにあてて送達されたが、同女は同令書を受け取つた翌日に同令書を原告およびその妻ミキに示して、同令書受領の事実を話したことは当事者間に争いがなく、また原告本人尋問の結果(一、二回)によれば当時右トク、原告およびミキは同一世帯にあつて、生活を共にし相互の事情を互いによく了知していたことが認められる。

ところで、自創法による農地の買収処分には民法第一七七条の適用はなく、国は同条に定める第三者には該当しないものと解すべきであるから、国としては、買収処分を行なうにあたつて、あくまでも真実の土地所有者を対象としてこれをしなければならず、単に登記簿の記載のみによるべきではないというべきである。したがつて、買収処分が、登記簿上の記載によつたため、買収当時における真実の土地所有者に対して行なわれなかつたような場合には、その処分は違法であることは明らかであるが、それが、移転登記の未済の間における登記簿上の所有名義人を所有者としてなされたものであり、しかも、真実の土地所有者が自己の所有農地につき買収処分が行なわれたことを知りまたは知りうべき状態にあつたにかかわらず不服申立の方法を採らなかつた場合には右かしをもつて買収処分を当然無効とすることはできないものといわなければならない(昭和三三年四月三〇日最高裁大法廷判決、昭和三〇年四月二六日同第三小法廷判決参照)。今これを本件についてみれば、本件土地の真実の所有者は原告であるにもかかわらず、東京都知事は登記簿上の所有名義人である本橋半七の土地としてこれを買収処分に付したのであるから違法であることは明らかであるが、買収令書は昭和二四年二月ころ原告と同一世帯にある半七の妻本橋トクに送達され、原告は右送達の日の翌日同女より右買収令書を示されその受領の事実を告げられているのであるから、同日原告としてはその所有の本件土地について買収処分があつたことを知り得たものというべく、これに対し、異議、訴願、取消訴訟等の不服の手段を採らなかつた以上、原告はもはや右の買収令書にともなうかしを主張することはできず、右かしを理由として本件買収処分を当然に無効であるということはできないものといわなければならない。

この点について、原告は本訴提起にいたるまで本件土地が原告の所有農地であることを知らなかつたから、本件には右のごとき理論はあてはまらないと主張し、原告本人尋問の結果(第一、二回)およびそれにより真正に成立したと認められる甲第五号証によれば原告自身はミキとの入夫婚姻により家督相続をし、本件土地の所有権を取得したことの明白な認識を欠いていたことが窺えるけれども、昭和二三年一月一日の改正前の民法においては、入夫婚姻において当事者間が反対の意思を表示しないかぎり、これにより家督相続が開始するものとし、さらに旧戸籍法(大正三年律第二六号)は、民法が原則として入夫婚姻を家督相続の原因としたことにより当然に相続が行なわれる結果、法律に無知な人々の間に相続財産をめぐつて思わざる誤解や紛争の生ずるのを防ぐため、その第一〇〇条において入夫婚姻において入夫が戸主となるときはその旨を明記することを要求し、それが記載されてないときは、むしろ家督相続が行なわれないものとして、いわば民法とは逆の、原則と例外とを転倒した扱いをして家督相続の事実を明白に認識せしめたのであるが、本件においては成立に争いのない甲第三号証から認められるように、原告は入夫婚姻の届出をするにあたつて同時に戸主となる旨の届出もしているのであるから、このような事実からみても、原告が本件買収処分の存在を知つた際、相当の注意をすれば、家督相続により本件土地の所有権が原告に帰属していたことを知り得たことは明白であるから、原告主張の右事由によつては、前記判断を左右するに足りないものというべきである。

三次に、原告は、自創法による農地の買収売渡処分につき、農地の売渡しを受けた者がそれについて耕作の意思を放棄し、又はその土地が農地としての性質を失なつたときは、その所有権は当然に旧所有者である被買収者に復帰するとして、買収売渡しが解除条件付又は信託的譲渡であるとし、あるいは宅地としての価値が顕在化するものである等の理由をあげ、被告はすでに本件土地についての耕作の意思を放棄し、また本件土地の農地としての性質も失なわれているから、本件土地の所有権はすでに原告に復していると主張するので、判断するに、被告が本件土地について耕作の意思を放棄し、また本件土地がすでに農地としての性質を失なつていることは、これを認めるに足る証拠がないから、すでに、この点において原告の主張は失当であることを免れないのみならず、そもそも自創法による買収売渡処分の効果を原告主張のように解すべき根拠を見出しがたいので、原告の主張は理由がないものといわなければならない。

なるほど自創法は「自作農を急速且つ広汎に創設」することを目的とし、政府が一定の標準に基づいて農地を画一的に買収したうえ、これを「当該農地に就き耕作の業務を営む小作農その他命令で定める者で自作農として農業に精進する見込のあるものに売り渡す」ことを定めており、同法によつて農地の売渡しをうけた者が、売渡しを受けたのち幾ばくも経ない間に、その農地を宅地にし高額な代価をもつて売り渡するというようなことは、本来同法の予想するところではなかつたものといわなければならない。しかしながら、このように一定の公の目的に供するため公権力によつて物件の買収、売渡処分がなされた後、その物件が当初の目的に供せられなくなつた場合の法律関係をいかに定めるかは、立法政策の問題であるから法令上の根拠がない限り原告主張のように同法による農地の売渡しを受けた者が当該農地についての耕作の意思を放棄し、あるいは売渡しを受けた土地が農地としての性質を失なつたからといつて、直ちに当然にその所有権が旧所有者たる被買収者に復すると解することはできない。しかるに、自創法第一二条および第二一条は買収および売渡しの効果としての所有権の移転に何らの留保も付していないのみならず、同法第二八条によれば農地の売渡しを受けた者が当該農地についての自作を止めようとするときは国がそれを買い取り、さらにこれを自作農として農業に精進する者に売り渡すことになつており、また農地法第四条及び第五条によれば、自創法によつて売渡しを受けた農地についても、これを農地以外のものに転用し、又は転用のために所有権を移転することを認めており、農地の売渡しをうけた者が耕作意思を放棄し、あるいは当該農地が農地としての性質を失なつた場合、土地の所有権が当然に旧所有者たる被買収者に復帰するということにはされていないのであつて、むしろ、これらの規定の趣旨等からみると、自創法及び農地法は、農地の買収によつて、国は無条件で完全な農地の所有権を取得し、また売渡しにより農地の所有権は無条件で完全にその売渡しをうけた者に移転するとの考えに立つているものというべく、これを原告主張のように解することはできない。

自創法により農地の売渡しをうけた者がその農地を宅地に転用し他に高額の代価で売却する事実があつたとしても、それは主として自創法の予想しなかつた終戦から現在にいたるまでのわが国の激しい経済的社会的変動のしからしむるところであるというべきであり、そのために生じた自創法の当初の目的とは著しくかけ離れた事態の是正を自創法ないし農地法の解釈あるいは条理によりまかなおうとする原告の主張は、傾聴すべきものがあるけれども、現在の法制のもとにおいては、いわば原告の独自の見解として採用し得ないものというべきである。

四そうだとすれば、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないことが明らかであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二部

裁判長裁判官 位野木 益 雄

裁判官 田 嶋 重 徳

裁判官清水湛は転官につき、署名押印することができない

裁判長裁判官 位野木 益 雄

物件目録

東京都北多摩郡保谷町大字下保谷字宮ノ脇一一〇五番一

一、畑 一反一畝一二歩 以上

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